| 2008年 8月13日 あの人も「流浪の旅」を歌ったのかも、「矢崎千代二への思いが、、、」 流れ流れて 落ち行く先は北はシベリア 南はジャバよ いずこの土地を 墓所と定め いずこの土地の 土と終わらん きのうは東 今日は西と 流浪の旅は 何時までつづく 果てなき海の 沖の中なる 島にてもよし 永住の地欲し 思えばあわれ 二八の春に 親のみ胸を 離れ来てより 過ぎ来し方を 思いてわれは 遠き故郷の み空ぞ恋 宮島郁芳・後藤紫雲 作詞/作曲 流浪の旅 大正10年 高倉健の映画「海峡」で森繁久弥が職場の若い仲間を事故で亡くして、 海峡を見下ろす山上で歌うシーンがあります。私は亡父が夜更けに、 一人で酒を飲みながら、しみじみと歌っていたのを思い出してしまいました。 矢崎千代二 (やざき ちよじ)1872〜1947 明治5年に神奈川県横須賀に生まれる、20年に曾山幸彦の大幸館に入門、 洋画の手ほどきを受ける、27年に天真道場に学ぶ、白馬会展に出品、 33年に東京美術学校西洋画科卒、36年に内国勧業博覧会で三等賞、 渡米し後にヨーロッパに渡り42年に帰国、パステル画を主とした個展を開催、 文展で「夕涼」が褒状、大正5年に渡欧、後にインド、ヒマラヤなどを旅行、 15年に帰国、昭和5年に南米各地、続いて中国、ジャワを旅行、9年に帰国、 17年に中国東北部(旧満州)北京に旅行、22年に北京で歿、享年75才であった。 世界各地を放浪した画家として知られている。 矢崎千代二回顧展(近代日本洋画の異色作家)横須賀市・はまゆう会館、昭和62年 放浪の画家として生涯を明治36年から絵を描きながら世界を旅をして、 終戦後の昭和22年に北京で客死した矢崎千代二は現在でが幻の画家と言われています。 まさに放浪の画家としての生涯を送ったのです。この時代に南米からヨーロッパに渡り作品を 描くと言うことは、生死をかけてもので「未だ見ぬものを描きたい」の執念と ロマンティズムがあったからだと思います。終戦を北京で迎えて、その地で客死したのです。 日本への望郷の思いに駆り立てながら、作家も「流浪の旅」を良く口ずさんでいたそうです。 私には、この歌から亡き父を思い出してしまいます。少年の頃より画家になることを 目指していた父は、2・26事件の三上卓と出会い、その啓蒙を受けて西園寺公望が上海に創設した 東亜同文書院大学に入学します。聞くところによれば同校は、東京帝国大学よりも難しくて 各県から二人しか入学が適わなかったそうです。将来の日本の指導者を育成するための学校であり 中国を支配するために創設されたとも言われています。父は、その卒業旅行などで中国から シンガポール、ヒマラヤ近くまで、旅をして、この歌を口ずさみ絵を描いていたそうです。 矢崎千代二と同じ時代に、同じ地で絵を描いていたことに不思議な運命を思わざるを得ません。 父の、その当時の作品は残念ながら戦後の引き揚げの時に没収されて残ってはいません。 私が父の影響で画商と言う仕事に就くことになったのは、少しでも才能のある作家を見いだして、 世に出したいと思いがあったからからです。戦争と言う悲劇で多くの才能のある画家達が陽の目を 浴びずに忘れられていきました。父は昭和56年の春の桜の満開時に心臓発作で世を去りました。 「花は桜木 人は武士」が口癖であった、父らしい潔い最後でした。 お時間のあるお方はホームページの「仁井谷三徳展」をご覧になって頂けましたら幸いです。 昔気質で、絵が描くことだけが好きな父でした。絵を自分から売ることもなく、画壇との交流も 苦手で世に広く知られることはありませんでしたが、作品は今も多お方に愛されています。 私も今年に還暦を迎えて、人生で何が大事なのか、、、いかに生きるべきか考えてしまうのです。 いちばんに思うのは芸術家は偉大だと言うことです。命は途切れようと作品は残り見たお方に 作家の人生、生き様、人柄を思いだして頂けるからです。そして励まされ癒してくれるのです。 芸術の永遠を思う2008年の夏の日に、、、、 西所正道 『「上海東亜同文書院」風雲録』角川書店より、 1901年から終戦まで、上海にひとつの「ビジネススクール」があった。 合格率は16倍。東大や海軍兵学校、陸軍士官学校などとならぶ、超エリート校。 それが上海東亜同文書院である。当時の人の上海への憧れは、いまの若者がニューヨークに 対して抱くより大きなものがあったというから、さしずめ、ニューヨーク大学の MBAコースといったところか。そこでは、簿記や会計学、銀行論、商法などはもちろん、 徹底的な中国語のトレーニングが行われていた。 それだけではない。日中友好の建学の精神にのっとり、中国人との同胞意識が育てられていた。 また、国内では許されないマルクス主義の本なども自由に読むことができた。 そうしたリベラルな精神を持った学校だった。残念なことに、学生の語学力が軍部に利用されたり、 中国各地の経済事情などを綿密に調査するミッションが与えられていたため、スパイ学校だと 誤解されたりもした。しかし、実状はまったく違っていた。 上海東亜同文書院は、在学中の徹底的な語学トレーニングを通して、また中国人との日常的な つきあいを通じて、中国人の立場に立ってものをみる人材を育てていた。 当時にしてはめずらしく、日本人の身勝手なナショナリズムを越えて、 中国人と真に同胞意識をもつ人々が巣立っていった。卒業生たちは、戦中だけでなく、 むしろ戦後において、その能力をフルに発揮し、日中の架け橋となって活躍した。 ジャーナリストとして、民間貿易のアドバイザーとして、外務官僚として。 本書は、そうした上海東亜同文書院の魅力を知ることができる。 上海に留学している人、したことがある人に、ぜひおすすめです。 写真は昭和1963年(昭和28年)頃の父、仁井谷三徳 ![]() "2008年 2月 3日 YouTube に、はまってるこの頃です。 もうすぐ立春です、冬には冬の美しさがあると言いますが、今年の寒さは厳しいもので 早い春の訪れが待ち遠しいこの頃です。そんな、ミスターロンリーになった時には、 インターネットの「YouTube 」に、はまっています。友人に教えられたウエブですが、 見ることの出来なかった画像が音楽入りで、こんなに簡単に見られることに、 驚いてしまいます。なにか魔術を見ているような不思議な思いです。 ジャズでは、コルトレーンからエリック・ドルフィまで、パーカーまでが、、、 ウエスタンでは、ハンク・ウイリアムスからドリー・バートン、グレン・キャンベルまでが、 「Glen Campbell-By The Time I Get To Phoenix 」僕の好きな歌です。(~_~) 「俺達に明日はない」のフォッギー・マウンテン・ブレイクダウンのアール・スクラッグスの 五弦バンジョーの神業的なテクニックまでが目の前に飛び込んできます。 まさに、憧れていたスーパースターが、いつでも好きな時に見られるのです。 世界のマニアの投稿画像から出来ているURLなのですが、肖像権とか著作権の問題などが、 発生しないのかと心配になりますね、、、しかし世の中って本当に便利になったものです。 しかし、その反面に、夢は夢であって欲しいとの思いもあるのも事実です。 ロマンがなくなってイマジネーションの世界が広がりません。 もしかして、もうすぐに100年後の地球が見られるかも知れません。 その時は地球温暖化で日本は亜熱帯の国になって、冬でもアロハシャツでハワイアンを、 やはり、ギター片手にカントリー・ウエスタンを歌っているかも、、、 これから、寺山修司の「書を捨てよ街に出よう」を思い出して、20代になったつもりで、 ウエスタンスタイルでピッシと決めてミナミに行って来ます。(*^_^*) 憧れているハンク・ウイリアムスになったつもりで、、、 懐かしい、あの人に逢えるかも、、、そんな気がする2月3日です。 ハンク・ウィリアムス 1923〜1953 は1923年にアラバマ州ジョージアナに生まれた。誕生時に潜在性二分脊椎と診断され、 生涯その持病に悩まされ続け、その耐えがたい痛みから逃れるためにアルコールと ドラッグを乱用し、29才の若さで他界した。10代ですでにギター片手にアラバマ州を渡り歩き、 13才の時、家族がアラバマ州モントゴメリーに移住した折に 「Drifting Cowboys (放浪するカウボーイたち)」というバンドを結成。 24才で初デビュー作となったシングル盤2枚は大ヒットとなり、MGMと契約。 その年録音された「Move It On Over」は全米でメガヒットを記録した。 その後ハンク・ウイリアムスは破竹の勢いで次々とカントリーソングのヒット曲を 世に出し続けるが、その私生活はけっして平穏なものではなかった。 波乱に満ちた最初の結婚と離婚、持病の脊椎の痛みから逃れるためにモルヒネと アルコールを乱用し続けたあげく、体はぼろぼろに。1953年の元旦、オハイオ州の コンサート会場に向かう途中にホテルで痛み止めのモルヒネを大量に打ち、 ウイスキーの瓶を片手に運転手付きの車に乗るが、途中ガソリンスタンドに車を止めた時、 キャデラックの車内で死亡しているハンク・ウイリアムスを運転手が発見した。 二度目の結婚後3ヶ月も経たないうちの他界だった。ハンク・ウイリアムスが最後に 録音したシングル盤のタイトルは、「I'll Never Get Out of This World Alive」 (生きてこの世は出られない)。このタイトルと略歴から連想される悲劇性と、 そのかけらを微塵も感じさせない、からりと晴れた南部の昼下がりを思わせる ハンク・ウイリアムスの陽気なのほほんとした歌声ほど、ミスマッチなものはない。 (ウィキペディア英語版の解説による) Your Cheatin' Heart、 Hey Good Lookin'、 Jambalaya、Mansion On The 、 Take These Chains from My Heart、 I saw The Light、 You Win Again、 Wedding Bells、 Cold Cold Heart、 I'm So Lonesome I could Cry、 Intro, Backup, Turnaround, Ending. 等のヒット曲で知られる。 ![]() " 2007年10月12日 マリリン・モンローから「映画のラストシーン」への思い、、、 スター不在の時代と言われる昨今ですが、美術界でも大家、巨匠と言った作家がいなくなりました。 デパートの展示会では「現代の大家、巨匠展」とありますが「なんでやのん」と言った感じで寂しい思いです。 好きな映画でも、いわゆる小粒な俳優ばかりで、スクリーンで見栄えのする人はいません。 テレビの映画、ドラマを見ていても、コマーシャルの時に、主演の俳優が笑顔で、 商品の説明などをしていますと、本当に白けてしまいスイッチをオフにしてしまいます。 日本映画の最後の主演男優は高倉建さんで女優は吉永小百合さんぐらいかも知れません。 一昔前までは看板を張れる渋い俳優はいました。現代の男優、女優と言ったところで 所詮はタレントで、バライティー番組に出たりして親近感はあるのですが、憧れの人とか、 自分とは遠い世界の高貴な人としての存在感はありません。 いわゆる、ときめきとか、キュンとした思いがしないのです。 少年時代の憧れの女優はアン・マーガレレットとフェイダナウエイ、、、カトリーヌ・ドヌーブ、 青年からはマリリン・モンローでした。西部劇の「帰らざる河」を見て一目惚れをしたのです。 それまではグラマー女優でトラブルメーカーのイメージしか知らなくて、可愛くてやさしくて、 大人の「ああ、いい女」を初めて知った出会いでもあったのです。まさに時代が生んだ女優で 亡くなった今でも世界の男に愛されている女はマリリンしかいませんもんね、、、 作家の野坂如之氏が「マリリン・モンロー・ノーリターン」を唄ったのが分かりますね、、、 ラストの酒場でピアノの上で唄う「ノーリターン、、、ノーリターン」の名シーンには、 まさに感涙で迎えに来るロバート・ミッチェムに嫉妬心さえ覚えました。(~_~) 「恋は帰らざる河の旅人・・・・あの人は帰らざる河を行ってしまった、、、」の歌詞が素敵です。 ロバート・ミッチャムがモンローを担いで強奪して、不要になった舞台用の赤いハイヒールを、 ぽんと投げ捨てるシーン、、、監督のオットー・プレミンジャーの男の美学が思われます。 モンローの歌声がハスキーで切ない人生を思わせて「シェーン」と 並ぶ西部劇の名ラストシーンだと思います。若い人にも見て欲しい映画のひとつです。 ドヌーブの「シェルブールの雨傘」はおしゃれなミュージカルで本当に綺麗な映画でした。 これも、ラストシーンのガソリンスタンドで昔の恋人に偶然に出会うシーンには自分の 初恋を思い出して涙が止まらなかった思い出があります。 シェルブールの雨がやさしく街並みをに降ってロマンティックな映画でした。 「俺達に明日はない」のフェイダナウエイも良かったですね、、、 いわゆるニューシネマの走りの映画で監督は、アーサーペンです。そんなには美人ではないのですが、 いわゆる気になる大人の女で、仕草が粋で目元が涼しげで、男のいたずら心も分かってくれそうで、、、 ボニーとクライドの二人が保安官に取り囲まれて銃で多くの弾を受けながら、ダンスをするように 蝶のように舞いながら死んで行くシーンは映画史上に残る名ラストシーンだと思います。 逃亡するときにバックに流れていたブルーグラスの名曲の「フォーギーマウンテン・ブレイクダウン」で、 アール・スクラッグスの五弦バンジョーが効果的に使われていて印象的でした。 話は変わりますが先日のバライティーの料理番組に出ていた、アラン・ドロンには失望でした。 自分が老いたら、このようには、なりたくはないと寂しい思いになったからでしょうか(~_~) 昔のハンサムのイメージが強いせいか、これなら目の前に表れて欲しくなかった思いでした。 同じフランス男優のジャン・ギャバンとイブ・モンタンのように老いの男の色気とか渋みもないのです。 自分の人生のラストシーンはどんなんでしょう、、、さわやかに一人で演じたいものです。 私どもギャラリーは今年で、開廊三十年記念の「鈴木マサハル展」を開催させて頂いているのですが、 挨拶文をご覧になった、お客様から「もう三十年」でなくて「まだ三十年ですよ」と、 励ましの温かい言葉を頂きました。本当にその通りで、いつまでも青年の心で画商としての 仕事に誇りを持って映画の主人公のように頑張りたいと思っています。宜しく、お願い致します。 ![]() 2007年 3月31日 「惜別の思いで、、、グッドバイと、、、」 春ですね、通勤途中にある股が池公園の桜も、ようやく開花を始めました。 水面には光がまぶしく溢れ、木々に留まる鳥たちも春を歌っています。 しかし、別れと新しい出会いの季節でもあり人生を思う年齢になったようです。 それぞれの桜と言いますが季節の変わり目のせいか「人生足別離」の 言葉を思い知るこの頃でもあります。「さよならが人生だ」では、 あまりにも悲しいと、後に続く言葉を考えてはいるのですが、、、 日本の高度経済成長を象徴したような、一人の男が天国に行かれました。 映画の無責任男シリーズでスーパーサラリーマンを演じた植木等さんです。 浄土真宗の家に生まれた彼は厳しい戒律生活の中で育ち東京の大学に進んで、 好きだった音楽を志してジャズバンドの「クレイジーキャッツ」に入団しました。 当時は、ジャズバンドしても有名でドラムのハナ肇さんをはじめ、 トロンボーンの谷啓さん、テナーサックスの安田伸さん、ベースの犬塚弘さん、 ピアノの石橋エイタローさん(ちなみに画家の青木繁の孫にあたります。)と 当時のジャズ界では実力プレイヤーとして有名だったのですが、 テレビの「大人の漫画」の5分間ギャグから、瞬く間に人気バンドになりました。 そして「シャボン玉ホリデー」からコミックバンドとして、メンバーの それぞれがテレビの人気者になりました。やがて歌のうまかった、ギターの植木さんが、 青島幸男作詞の「スーダラ節」をレコーディングすることになって、テレビでは 不真面目を演じていたのですが、実際は大の真面目人間であった彼は郷里の 寺の住職である父に相談がてら、こわごわに歌詞を見てもらったそうです。 絶対に止めろと怒られる覚悟をしていたのですが「分かっちゃいるけど止められぬ」の 歌詞にお父さんは「これこそ親鸞の教えである」人生の本質をついている 真実の言葉だと感心して、「大いに歌えと」励ましてくれたのです。いい話しですね、、、 難しい宗教用語で普通人には理解が出来ない仏の教えが、こんなにも簡単に 人生訓になっていることに、お父さんも衝撃を受けたのかも知れません。 「分かっちゃいるけど止められぬ」この言葉こそ、誰もが人生の中で反省の念で、 思うことではないでしょうか、私など何度も、、、何度も、、、(~_~) 本当に嘆かわしいほど経験しています。自慢にはなりませんね、、、 しかし、この言葉に救われるのも事実なのです。これからは頑張ろうと、 自分を納得させることが出来るのです。本当に単純な典型的なB型人間かも、、、(~_~) 商売人の長男であった私は映画を見ては、本当にサラリーマンに憧れましたもんね、、、 そんなに、いい男でもないのに、仕事は順調で美人の女性にも惚れられて、 いいことずくめです。でも明るさは天下一品で誰からも好かれるのです。 本当に出世の連続で最後は社長にもなってしまいます。 「二日酔いでも寝とぼけていても、タイムレコーダーをガシャンと押せば、、、」の 楽しい人生を送れるサラリーマンは時代の花形でもあったのです。 やがてサラリーマンは企業戦士と言われて厳しい冬の時代を迎えることになります。 石油ショックの不況から好景気になりバブル経済の破綻で日本は自信を失いかけました。 それでも「陽はまた昇る」を信じて、小泉首相の郵政民営化、規制緩和、企業の合併で、 ようやくに立ち直ってきたようです。しかし現実にあるのは格差社会で一般市民、 サラリーマンには全くリアル感がありません。今は不況ではなくて「普況」だそうです。 現実味がある言葉ですね、この厳しい時代の桜も咲こうかと言う時期に、 喜びの春がくる前に、この訃報には時代を思います。 自分の人生と重なって感慨もひとしおです。「昭和も遠くなりにけり」でしょうか、 「ありがとう植木等さん、、、ゆっくりとお休み下さい」合掌 先日の雪割草には全国から多くのアクセスを頂きまして有り難うございました。 マニアの世界ではネットオークションで高値で売買されていて驚嘆の思いです。 しかし、小さくても完成された美しさに魅せられるのは当然だと思います。 ここにも男のロマンがありますね、、、 花の画像はI様が撮影して下さってメールで送って頂いたものです。 お手数をお掛け致しまして申し訳ありませんでした。 メイプルソープの花の写真よりも艶っぽくて素敵で掲載させて頂きました。 本当に花を愛しておられるから素敵な写真が撮れるのだと思います。 そのこころが花に伝わって、より綺麗に美しくなるのだと思います。 本当に有り難うございました。謹んでお礼を申し上げます。 左より 無名吹きかけ、無名覆輪草、 ![]() 2007年 3月16日 雪割草 左より 秀麗 剣青 ![]() 2007年 3月16日 「雪割草にビル・エバンスを、、、」 春の訪れには遠い、まだ寒い日でしたが親しくさせて頂いているお客様のI様より 「今年も雪草が咲きました」とメールを頂いて一年ぶりに小さな可愛い花に 会いたくて、ご自宅に訪問させて頂きました。私と同じジャズとオーディオを 趣味とされていて雪割草を大事に温かく育てられてる、やさしいお方です。 冬の終わりから春になる前に雪を割るように咲くことからこの名前が付いたそうですが、 本当にロマンティックですね、、、こんな小さな花が夏から冬の厳しい季節に 耐えながら生命を育んでいることに不満の多い日々を送っている自分に反省です。 私は冬の陽射しが温かくなって春がすぐそこに思える、この時期がいちばん好きです。 本当の春になってしまうと心も昇華してしまって情感が消えてしまうからです。 太宰治の「富岳百景」に「富士には月見草が似合う」と言う言葉がありますが 雪割草には何が似合うのか考えてしまいますが適当なものが見あたりません。 しかし、花の名前を教えて頂くうちに思い浮かんでくるから不思議です。 ベランダに綺麗に並んだ可愛い花を見ていると、やはりジャズ好きの私には ビル・エバンスのリバーサイドのトリオ名演が思い浮かんで来るのです。 「Spring Is here」と「Blue In Green」の二曲です。 初めの曲には、まだ完全な春になっていない、ほのかで、かすかな春の喜びが、、、 後の曲には花弁の鮮やかな色彩の美しさと若葉の瑞々しさが静かなメロディーになって、 やさしく聞こえて来ます。別れと出会いの季節のせいかもしれませんが、 今は亡きスコット・ラファエロとエバンスのプレイを思い出して涙ぐんでしまいます。 雪割草は華やかに咲く大輪でも、強い花ではありません。静寂の中でためらいがちに、 咲く花ですから、ひそかに思い焦がれていた人に、やっと逢えたような喜びがあるのです。 毎年、確かに咲く桜よりも、もしかして今年は逢えないかも知れないの不安があるのです。 季節の移ろいに耐えられずに、もしかして咲かないかもとの思いが恋心に似ているのかも、、、 しかし、花を付けない雪割草では、やはり寂しくて悲しくてやりきれません。 小さな、、、小さな花に、、、やさしい思いをよせて耳を近づけるとエバンスの ピアノが聞こえてきて、今年も咲くことが出来た喜びを、、、季節を歌っているようです。 それは、「Whalze For Debby」でなくて「Whalze For Yukiwarisou」ですね、、、 左より 「鉄心」「初冠雪」 ![]() 2007年 2月 7日 ![]() 2007年 2月 6日 「60年代テレビ西部劇は懐かしい、、、」 お陰様で全国のウエスタンファンの皆様から多くのアクセスを頂きまして有り難うございました。 団塊の世代に取っては1960年代に放映されたTV西部劇への思い入れは、 この年齢になっても格別なもので、アメリカと言えばウエスタンと思っていたほどです。(~_~) 男らしいヒーローは少年の憧れであって自分も大人になって正義に生きると信じて、 母親に怒られながらも必死に見たものです。思い出すと実に多くの西部劇がありました。 「ララミー牧場」と「ローハイド」は別格として、ジーン・バリーの「バット・マスターソン」 彼は後に「バークにまかせろ」の探偵役で活躍、、、「粋なステッキに旅はささやいた、、、」 主題歌は忘れられません。スティーブ・マックインの「拳銃無宿」ジョッシュ・ランダルは、 お尋ね者を見つけても殺さないで生け捕りにすることを心情にしてる賞金稼ぎの役で、 後にハリウッドを代表するアクション俳優として多くの名作に出演しました。 「幌馬車隊」の隊長役のワード・ボンド、、、彼は名作の「荒野の決闘」でヘンリー・フォンダと 共演して兄の役で、牧場での決闘で木の柵に座って拳銃の手の甲での連射は印象的でした。 「隊長アダムースの指揮のもと、時には憎み、また愛し合う」の主題歌が良かったです。 タイ・ハーディンの「ブロンコ」応募懸賞で馬の鞍が当選し歓喜の声を上げた思い出があります。 チャック・コナーズの「ライフルマン」後に映画の「ジェロニモ」での熱演で有名になりました。 クリント・ウオカーの「シャイヤン」シャイヤーン、、、シャイヤーンの繰り返しの歌詞が、 郷愁をそそりました。ジェームズ・アーネスのマット・ディロン保安官の活躍する 「ガンスモーク」は大人の西部劇で酒場の女将が良かったです。 ジェームス・ガーナの「マーベリック」の粋な賭博師など、、、 やや外れるかも知れませんが「怪傑ゾロ」はガイ・ウイリアムズのデビュー作で ガルシア軍曹の太ったユーモアのある仕草が可愛いかったですね、、、、 後に「宇宙家族ロビンソン」博士役で一躍人気スターに、、、 これらの西部劇に脇役で出演の俳優達も後に大成して有名スターになりました。 チャールス・ブロンソンは当時は悪役が多かったけど光っていました。 ジェームス・コバーンもいましたね、、、「荒野の七人」ではナイフの名人役で素敵でした。 「ボナンザ」は、ネバダに住んで自然を愛するカートライト一家が協力しあって、 開拓する人達を温かく助けると言ったホームドラマ的な西部劇で長年に亘って放映された、 人気番組で父親役のローン・グリーンの渋い演技が光っていました。 思い出は尽きませんが最も思い入れのあるのは「ローンレンジャー」です。 ロッシーニの「ウィリアム・テル序曲」の颯爽としたテーマ音楽に乗って愛馬に 「ハイヨーシルバー」と叫んで荒野をかけめぐる姿には本当の英雄を思ったものです。 後にクラシック音楽を聞くまではこの曲を「ローンレンジャー」とさえ思っていましたもんね、、、 白馬に跨って黒いマスクと二挺拳銃で悪をやっつける、お供をするインディアンの、 「トント」の言う「インディアン嘘つかない」が印象的でした。 後に大阪の漫画トリオの横山ノックがぱくって、さらに有名になりました。 主役はクレイトン・ムーアだったと思います。日本で言う鞍馬天狗でトントは杉作です。 トントが最後に言う「アディオス キモサベ」は流行語にさえなたほどです。 懐かしい話になりますが当時に「仁丹ガム」の中に入っていた世界各国別の車のカードを集めて、 国別に揃えるとアメリカのマテル社のモデルガンがもらえるので大ブームになったことがあります。 覚えておられるお方も多いと思います。過激に少年が集めてすぎて社会問題になり中止になりましたが、 たしか全部を揃えるとスバル360の車がもらえると言うので大流行しました。 私も必死に揃えて、あるものと無いものを友達と交換して集めてコルト45と ウインチェスターのライフルのモデルガンをもらった思い出があります。 やがて、連続西部劇は姿を消して、医師シリーズの「ベン・ケーシ」とか、 「ドクター・キルディア」から「コンバット」「ギャラントメン」などの戦争ものに 変わって行きました。それは背後に当時のベトナム戦争へのアメリカ政府の戦意高揚政策も、 あったのだと思いますが、、、美談が多すぎて戦争の悲惨さ家族の悲しみなどは、 描かれることもなくて真実の人間ドラマは存在しませんでした。 時々はテレビで再放送されていますが、現在のイラク状勢などを考えると複雑な思いです。 新しいメディアの出現など今までの100年を一年で過ごすような慌ただしい時代です。 振り返ってみると開拓時代のTV西部劇には男が男であったダンディズムがありました。 汗の匂いとかエネルギーがあって、やさしい人間愛と正義があったからこそ魅了されたのです。 絵も同じだと思います。良い絵とは人間愛とそれを描いた作家の品格が出たものです。 パソコンのソフトで作られたものには温かみはありません。作家の息吹が伝わって来ないのです。 しかし、これだけTVを見ていては、勉強が出来るはずもなくて「落ちこぼれの先駆者」に なるのは当然です、、、いまさら反省でもありませんが、夢のあった少年時代でした。 しかし、今の画商としての自分があるのは、その夢のお陰でかも知れません。 夢は持ち続けてる間は夢で無くすと同時に夢ではなくなりますもんね、、、夢に感謝です。 大事にしたいですね、、、ウエスタンファッションに気合いを入れて、、、頑張らねば、、、 2007年 2月 1日 「ウエスタンおじさん」になりたくて、、、 ジャスティンのウエスタンブーツに、革のテンガロンハットとモンタナのボロタイで、 上着は黒の革ジャケットか革ジャン、もしくはジェシー・ジェームス(20年前に購入)の スタジャンで鞄は小さめな茶色のなめし革(今年に軽井沢の革工房で購入)、 ベルトはトニーラマと、ズボンはもちろん年代物ジーンズで颯爽とめかし込んで、 キタからミナミへ闊歩してみました。すれ違う人は危険人物のように避けてくれます。(~_~) どうも中年になると、おしゃれも難しいものです。ブランドのスーツは無難なのですが、 個性もなくて面白みはありません。しかし野球帽に普通にジャンパーでは、 ますます年齢を重ねた、「疲れたおっさん」丸出しで貧乏臭くなってしまいます。 新年を迎えて、ここは気合いを入れてで、若き日からの願望であった 「ウエスタンおじさん」になってダンディになろうと一大決心です。 しかし、その装いで実際に家を出るとなると、かなりの勇気が要りましたが、、、 また、地下鉄の中、繁華街と歩いていますと、周りの視線が自分に集まって、 恥ずかしくもスター気取りです。(~_~)その視線を意識することで背筋もピンと伸びて、 シャッキとした自分を再発見です。少年の日の憧れを実践した日からは20才は 若返ったと自分でも思っています。(愚かなり我がこころ) その普通ではない装いで友人を訪ねると、「ウエスタンクラブにでも入ったんですか?」 また、笑いながら「そこまでやるなら保安官バッジを付けなアカンで」とか、、、、 「かっこええで、ブーツに拍車をつけな」とか「コルト45のピストルでガンベルトしな」、 誉めてくれているのか、、、冷笑なのか、、、複雑な思いですね、、、 まるで昔の「ララミー牧場」のジェス気取りです。知ってる人も少なくなりました。 私たちの世代ではウエスタン俳優と言えば絶対にロバート・フラーですもんね、、、、 しかし魅力的な西部劇は少なくなりました。たまにあるのですが人種差別とか 平和思想とか内容は高いのですが、どうも馴染めません。 正義と悪が一目見ただけで分かって、美人そのままの女優に憧れてしまうこともありません。 「シェーン」のアラン・ラッドのラストシーンには男の潔さに涙したものです。 「駅馬車」「黄色いリボン」「リオ・ブラボー」のジョン・ウエインも良かったですね、、、 マリリン・モンローの「帰らざる河」のギターを持って歌うシーンなど 男が男であった時代、女が女であった時代は遠いものになったのでしょうか、、、 ちあき なおみ、、、、あの情感をもう一度、、 1992年から芸能界から突如として姿を消した、ちあきなおみの特集番組が NHKテレビで『歌伝説 ちあきなおみの世界』として再々々放送されました。 どうしても、もう一度見たいとの多くのファンからの熱望があったからです。 歌うのを止めたのは、相思相愛の俳優で主人の郷瑛治氏の長年の看病から 死の衝撃からだと言われています。「もう歌わななくてもいいよ」との 遺言もあったとかで、詳しい本当の事は私たちには分からないことですが、 これほどまでに愛されてカンバックが待望されている歌手がいることに、 私たちは改めて彼女の存在感の大きさを思うのです。 ジャズとクラシックを趣味としてる私ですが、彼女にはぞっこんで聞いていました。 多くの曲をレコーディングしていますが、好きな歌は「帰れないんだよ」です。 これは是非とも聞いてほしいものです。自信を持ってお薦めさせて頂きます。 歌詞の内容は秋田にいる恋人の元へ帰りたいけど帰れない、生活の窮乏から帰れない、 そのお金がなくて帰れない、もしあったら一月は生きていける、 暮らせるのでなくて生きていけるんだ、、、男の哀感が胸を打ちます。 飽食の恵まれた何でもある現代では想像は出来ない世界ですが、 この歌が出来た昭和の中期はそんな時代だったんですね、、、胸がキュンとします、、、 多くあるヒット曲の中で有名ですが「矢切の渡し」もいいですね、、、 どんなところかと行ってみたかったので寅さんの柴又帝釈天からすぐなので訪ねてみました。 真冬の江戸川の寒風が頬を打つ中でメロディと歌詞を思いながら情感に浸っていました。 思い出すのは近松の「冥途の飛脚」の梅川と忠兵衛の結ばれない男女の愛の悲しさ、 また、曾根崎心中の一節の「この世のなごり、夜もなごり。死にに行く身をたとふれば あだしが原の道の霜。、足づゝに消えて行く。夢の夢こそあはれなれ」です、、、 作詞は石本美由紀、作曲は船村徹と言う演歌の大御所ものだけに聞かせます。 私の独断と偏見で選んだ三大演歌とは「風雪流れ旅」「舟歌」「矢切の渡し」です。 ちなみに演歌の作詞家の仁井谷俊也は私の一つ違いの従兄弟になります。 郷里の尾道では兄弟同様に育ちました。少年の頃より真面目な感性の豊かな詩人でした。 長山洋子の「蜩」北島三郎の「川」天童よしみ「人生しみじみ」 最近では氷川きよしの「思い出の都」などで頑張っています。 皆さん、応援のほど宜しく、お願い致します。(余談ですみません) 「連れて逃げてよ、、、ついてお出でよ」もし本当に心を惹かれている女性に 言われたならどうしようかと本当に考えてしまいますね、、、、 男として、そこまで信頼してくれて、目を見られて言われたら「ついてお出でよ」と 言わざるを得ませんもんね、、、愛に生きるのが人生だと思うこの頃です。 しかし、つらいものがあります。想像の憧れの世界です(~_~) ちあきなおみの歌は若いときから米軍キャンプでジャズとかロックを歌っていただけに、 人生の情感と凄みがあります。そして詩の心があるのです。 アマリア・ロドリゲスのファドと共通する人生の哀感が思われて魅力です。 正直に言って日本人の歌手でこれほどまでに泣かせる人は現在はいないと思っています。 そんな彼女が歌謡界、テレビから消えて寂しい限りです。 戦後で美空ひばりと並び評される歌手が惜しいと思うのは当然です。 しかし、考えてみれば普通人の私たちの周りに目立たずに暮らしているのです。 これほどの歌手が普通の平凡な生活を当然のようにしている。 絵の世界でも同じです。無名でも思いがけない素晴らしい画家に巡り逢うことがあります。 その真摯な創作活動に感激することがあるのです。有名だけが芸術ではありません。 そのことに大いなるロマンを思うのはわたしだけでしょうか、、、、 しかし、出来ることならお酒でもゆっくり呑んで人生を語り合いたいですね、、、 昭和51年にに発売されたレコード「酒場川」のB面に収められていたのが「矢切の渡し」で、 その時は注目はされていませんでした。 ![]() 2006年2月12日 ボブ・ディランは、やっぱ凄い、、、、 小正月も過ぎた、やや春の訪れが思われる日のことです。 親しくさせて頂いているS様がギャラリーに寄って下さり、 これを聞きながら来ました」と一枚のCDを見せながら 「やはり、いいですね」と私に嬉しそうに微笑みながら 「聞きませんか?」とボブ・ディランのCDをお持ちになりました。 フォークからロックの「ザ・バンド」までが入った2枚組のものでしたが、 これが挫折と屈折の、時には栄光(ほんの一瞬ですが)の 過ぎ去った青春の日を思い出すことになりました。(~_~) ディランといえばアメリカでは歌手としてしては勿論ですが、哲学的な歌詞で、 詩人としても評価が高くてノーベル文学賞の毎回の候補にもなっていて 世代を越えた国民的英雄です。日本ではこのような歌手は見あたりませんね、、、 「風に吹かれて」を初めて聞いたのは私が高校の時で深夜放送のラジオからでした。 受験もそこのけでベトナム戦争で議論し平和について真剣に考えているときです。 下手なハーモニカに、かすれた声が地獄からのささやきのようで、 聞いていると、妙にリアルで英語の歌詞の意味も詳しくは分からないのに 「立ち上がれ」と、メッセージのように思われて興奮したことを覚えています。 やがて感動から涙ぐんで自分の同士のような親近感が湧いたものです。 エリック・クラプトンも好きな歌手なのですが、DVD「クロスロード・コンサート」で、 ゲストとしてシェリル・ロウの次にボブ・ディランが出てきた時には、 久しぶりに見る彼の姿は相変わらず病的に細くて、ただ者ではない不良性の 雰囲気に思わずに「やっぱ凄いやんか」と叫んだほどでした。 「ドント・トゥワイス・イッツ・オーライト」は吠えるようなエネルギーは、 健在で、昔以上に凄みがあって感動を覚えて若き血が甦ったようで 嬉しさのあまりに嗚咽さえしてしまいました。団塊の世代の「おっさん」を、 泣かせるなんて、、、、まさに感動ですね、、、、、 社会の差別、貧困、偏見にストレートな歌詞で問いかけ、権力に抵抗しては、 考えさせては答えは聞いた人に出してもらうと言う歌手として許されない行為だったのです。 愛を、恋を、情感を歌手は歌っていれば良い時代に、突如として彗星のごとくに現れました。 そして、アメリカから世界の若者に絶対的な共感を得たのです。 しかし彼は著書で述べているように、そんなに大それたことを考えていたのではないのです。 ,, そのように評価されることを拒んでいるのです。 ,, 私生活も謎めいて公表せずにマスコミを拒否しました。曲を聴いている内に私は ,, ピカソの「ゲルニカ」に作品を思い出しました。 ,, 良い意味での不良が革新児となって新しい次代を切り開いてきました。、 ,, しかし、それも長続きすると堕落して退廃するのは歴史が証明しています。 ,, 常に新しい創造世界にチャレンジするには大きなエネルギーが入ります。 ,, 既成の枠をうち破り権力に抵抗した骨っぽい芸術は永遠です、、、、 ,, 21世紀になって次代の新しいピカソ、ディランは出現するのでしょうか、、、 ![]() ,, 2005年11月22日 「コンクリート・ホーンとアート・ペッパー」の素晴らしき日曜日 秋も深まった日曜に友人と枚方香里園の「ブルーライツ」に行って来ました。 一度は訪れたかったジャズ喫茶で幻のコンクリートホーン・スピーカーを聞くためにです。 車で探して分からずに電話で奥様に丁寧に教えて頂いて行った時には道路まで 迎えに来て頂いていて誠に恐縮の思いでした。 コーヒを注文してから,リクエストはと訪ねられてアートペッパーの 「ミーツ・ザ・リズムセクション」をお願いしました。 今までに聞いたことのない音で,まさに衝撃的な体験です。 耳にやさしいのです。長時間聞いても疲れないのです。。 いつまでも聞いていたい、このままに永遠に続いて欲しい時間、、、 無口で物静かな、ご主人の奥村様は今年で82才になられますが、 スピーカーの話をお話をされる時は背筋も伸びてジャズ青年です。 3年をかけてご子息と現場で作られたスピーカーは誇らしげで、 過ぎ去った青春の思い出までを甦らせてくれて感激しました。 ジャズにあまり感心のなかった友人も音のリアルさに驚いて 今までに知らなかったオーディオの深い世界を知ったようです。 http://www.kcat.zaq.ne.jp/aaamd908/ ジャズスポット『ブルーライツ』 自信を持ってお薦め致します。 昔は大阪に多くあったジャズ喫茶も少なくなりました、 道頓堀の「5Spot」梅田の「バンビ」「ファンキー」など 耳の鼓膜が破れる寸前の大音量での暗い部屋で詩集を読みながら聞いたジャズは、 自分だけが知っているような妙なプライドがあって、 タバコの煙が不健康そうで、まだマイナーでアバンギャルドだったジャズ、 不良の集まりみたいで、ひとくせのある人間が好きだったジャズ、、、、 今の若者には「ナンセンス」と理解できない知れませんね、、、 男は凄い美人で申し分のない女性よりも、個性的でくせがあって、 どうしようもない女に惚れることがあります。 「自分がそうだからと」思っているのかな、、、救いようがないですね、、、 俺が傍にいてやらないと駄目になるとか、俺が愛してやらなきゃとか、、、 (大概は自分で勝手に思いこんでいるのですが*^_^*) 大きな広場とかドーム、太陽の下でのジャズも健康的で素敵だけど、 僕の好きなジャズは、やはりジャズ喫茶です。世の中の不条理に疑問を持ち、 いちばん感心のあったことは平和と反戦運動でした。 考えてみれば、若者、学生が最も元気だった時代かも知れません。 60年安保から70年安保運動の挫折感、高倉健のやくざ映画に夢中になった日々、 そんな時代に帰られてくれた日曜でした。(背筋が伸びた感じ) アート・ペッパーとチェット・ベーカーのレコードジャケット 昔のパシフィックレコードの「プレイボーイズ」のジャケットには アート・ペッパーとチェット・ベーカーの若きの写真が印象的で、 ウエスト・コースト華やかりしよき時代のアメリカが見えて、 今でも良く聞くレコードの一枚です。演奏もハッピーで抜群です。 もっと素晴らしい名盤はあるのですが、二人に共通して言えるのは、 ハンサムで天才で優しすぎて人間的には弱い面も多く酒、麻薬におぼれて 挫折、晩年の復帰と語り尽くせないくらいの人生ドラマを過ごして、 亡くなった今では伝説にさえなっています。 男として財産、名誉、地位も欲するものでしょうが、 私は伝説になる生き方をした男が最高だと思っています。 私はペッパーのイントロ盤の「モダンアート」のダイアンと言う曲が いちばん好きですが、「何でこんなに泣かすねん」と嗚咽せざるをえない、 最高のプレイです。晩年の「スターダスト」「サマータイム」も 素敵ですが、やはり若き日のやるせない憂愁感が抜群です。 チェット・ベーカーはどちらかと言えば晩年の人生を悟って 遠い日を懐かしむような演奏がベストだと思っています。 若き日のハイトーンの歌も良いですがタバコと酒で焼けた声は渋くて、 語りのような歌は人生のようでもあり、秋のこの季節には最高です。 今から28年前のペッパーのカンバック来日演奏会を大阪のサンケイホールで、 聞いた思い出が昨日のように思えてなりません。 体調は良くなかったようですが、演奏の間のステージのではテーブルに乗せた、 ウイスキーの水割りを、やや遠慮ぎみに呑んでいた姿が印象的でした。 絵の世界でも、この二人のような破滅型の作家は昔は多くいたようです。 村山槐多、関根正二、長谷川利行、など天才であるが故に悩み、傷つきながらも、 それを越えて多くの歴史に名作を残しました。芸術家の永遠の命を思う秋です。 ![]() 2005年 9月27日 信州の一茶館を訪ねて、、、 素敵なサマーメモリーが出来ました。私どものインターネットオークションで お知り合いになったM様の、温泉旅館を家族でお伺いさせて頂きました。 信州は一度は行ってみたいところでした。 鉄道でと思っていましたが若さにチャレンジして車で久しぶりの遠出で 10年は若くなった思いで、少し自信が持てたような2泊3日の小旅行でした。 M様には温かく歓迎して頂いて感激でした。本当に有り難うございました。 今回の旅は、もうひとつの目的もありました。藤沢周平の「一茶」を読んで、 どうしても生まれて晩年を過ごした土地を訪ねたかったからです。 一茶の俳句は芭蕉のように高貴で完成された世界ではなくて、 蕪村のように渋くて上品さもありませんが、人生の滑稽さと正直さが魅力です。 生涯に作った句は20000句と言われています。 このことは芭蕉の1000句、蕪村の3000句と比べても、 いかに多いかが分かります。日々の生活の中で、 自分の心のままに、あらゆる森羅万象のものを、今までは 誰もが読まなかった小動物、家族、嫉妬心を正直に題材にしていて、 さわやかな思いで時代への憧れと郷愁が思われて魅力的なのです。 眼の前には黒姫山、右を見れば妙高と四季の移ろいの美しいところです。 私の好きな句に「これがまあ ついのすみかか 雪五尺」があります。 50歳になって故郷を最後の地として帰ったときのものです。 今までの人生との惜別であり、これからの厳しい生活への潔よさが見事です。 男としての美学が思われて魅了されます。 旅から旅への人生で精一杯に生きた中で到達した心境だと思えます。 最後の住まいとなった土蔵に佇んでいますと、初秋の風がたなびいて来て 野に咲いたコスモスが微笑んで私に語りかけてきます。 青春の華やぎと野望、成功、挫折、至高感、老い、自然との融合、 過ぎてゆく人生は悲しさも喜びも滑稽であるからこそ楽しいんだと、 それは古代から現代まで変わることのないものだよと、、、 「分かっちゃいるけど止められぬ」これが人生なんですね、、、、 五、七、五の一七文字の短い文にそれらを見事に歌ってる小林一茶の 作品世界は抽象絵画につながる未知への探求心に誘われて本当に魅力的です。 さて、私も一句、、、、 妙高に 見つけた秋は 我が身かな、、(~_~) お粗末、、、、 ![]() ,, 2005年 5月21日 桜と行った赤帽の石川さん、、、 業者のHさんから突然の電話をもらって知ったのは、 長年に亘ってお世話になっていた石川さんの訃報でした。 絵の納入、引き取りと10年ほどのおつき合いで、 初めは運送だけを手伝って頂いていましたが、 お話をさせて頂く内に芸術、宗教、文化、音楽と博識で、 私と共通の趣味で気があって仕事以外でも親しくさせて頂いていました。 とにかく、楽しくて印象に残る素晴らしいお方でした。 若い時に体を壊しての入院生活が長く学問への道を断念されて、 救いを求めて宗教へ寺の小僧もされたとの事でした。 この人がと言うのは不謹慎ですが、もの知りそうな一般人よりは、 教養も高く、隠れた逸材、存在感のあるお方でした。 真理への追究心が強くて、さらなる深い世界から悟りを 開いたような言葉から私は多くの事を学ばせて頂きました。 個人事業者でありながら組織へ不当に搾取される納入金についても、 代表者として裁判の闘争もされて勝利も勝ち取ったお方で、 同業の組合員からも尊敬をされてる、お方と知ったのもうなずけます。 毎年9月には八尾の「風の盆」には必ず行かれていました。 行っては人生のはかなさを思われていたのでしょう。 「人生足別離」と言います。さよならが人生そのもので、 そのために生きている、それが口癖のようなお方でした。 私の憧れであった「桜と共に一人旅」の話題で盛り上がり、 その後で「仁井谷さん行って来ましたで」と 北陸から東北へと赤帽の軽トラックで旅をして来た様子を 聞かせてくれたのも思い出になってしまいました。 一生、結婚もせず独身での日々は寂しかったとのでは 思いますが、それ以上に豊かな人生であったと思います。 何か人にはない魅力と雰囲気のあるお方でした。 今頃は赤帽の車で桜を追って走っておられるのかも知れません。 「花は桜木、人は武士」に憧れて桜と逝った石川さん、 もっと語りあいたかったです。本当に悲しく残念です。 それぞれの桜と言いますが、別れは、つらいものです。 お好きであった桃ヶ池公園の桜を見てください、、、合掌 ![]() ,, 2005年 3月25日 藤沢周平世界に魅了されて、、、 「たそがれ清兵衛」から「鬼の爪 雪明かり」と映画からファンになったお方も 多いとは思いますが、それにしても松たか子は綺麗だったな、、、 いま、いちばん輝いている女優だと思っています。 私も20年ほど前に藤沢周平の小説は愛読していました。改めて読み返してみますと、 懐かしいと言うか、江戸時代の貧しいながらも庶民の生活、 下級武士の悩みの多い日々にも精一杯に活きた真面目さが伝わって来て、 現代にない、のんびりとした物語展開に魅了されているこの頃です。 もちろん現代用語辞典でもないと分からないようなカタカナ言葉もありませんし、 今はない地名とかが出て来ては、子供の時に見た地図が見えて来て、 旅情がかき立てられて、ロマンな思いになるのです。 小説の登場人物は、人間関係、親戚、上下関係の複雑さで悩んでいます。 もちろん愛情問題でも、、、、あきらめて生きるか、捨て去って離れるかと、、、、 しかし、決めたからには潔く信じて生きる道を歩いていく姿に憧れを思います。 豊かでなく情報も少ない生活の中にあっても文化もあり感受性もあった時代、 江戸時代と入っても150年ほど前のことで、そんな大昔ではありません。 時代の変遷は早くて、平成になっても昭和が夢のようです。 平凡な日々の積み重ねにも歴史は動いている事実、知らない内に 変革にも巻き込まれることもあります。正義を貫く真面目さを大事にして、 人を愛するこころ、ものを大事にするこころを持ちたいものです。 ,, 2005年 3月25日 レイ・チャールズの思い出、、、 話題の映画「レイ」のジェイミー・フォックスのアカデミー賞主演男優賞、 また、「ジーニアス・ラブ」のデュエットCDのミリオンセラーと、 レイのファンに取っては嬉しい日が続いています。 惜しくも昨年に亡くなったレイの私の思い出を書いてみたいと思います。 初めてレイを聞いたのは中学一年の頃で叔母がレコードをプレゼントしてくれたときです。 叔母と言いましても私よりの八才上だけで、何か不良っぽい感じで、遊んでいる感じで、 親戚からはやや敬遠されているようでした。しかし、そんな叔母が好きでねーちゃんと呼んで、 映画とか音楽とか多くの事を教えてもらったのです。 その影響か今でも「くせのある女」が好きでマイナー志向で困っています。(笑い) しかし芸術は初めは全てがマイナーなのですから、、、、、 その時の驚嘆は今でも鮮明です。こんな音楽があるのかとショックでした。 これが人間の声で、こんなにも感動を与えてくれるのは、何故なんだろうと、 そして、盲目の黒人ででピアノを弾きながら歌うなんて信じられませんでした。 レコードジャケットの顔がサングラスをかけていてギャングみたいで、 「旅立てジャック」を聞いては勇気をもらって「ホワット・アイ・セイ」の楽しさ、、、 初恋もその頃で「愛さずにはいられない」のドーナッツ盤を何度も聞いては、 屋上のベランダで涙ぐんだものです。(その頃は純情でした、、、今もそうです。) 美しいだけでなく、こころの奥の魂にまで響いてくる歌は、 彼の貧しい生い立ちから、また、それを跳ね返して生きてきたバイタリティーが あるからだと知ったのは、それから暫く経ってからでした。 「極貧で自分たちより下の生活は冷たい地面しかなかった」と彼は半生記の中で語っていますが、 レイの才能の素晴らしさを知って信じていたいた母の深い愛情で、 世界に感動を与えるジャンルを越えた音楽を創造する事が出来たのです。 私も、フェスティバルホールで彼の演奏を三回ほど聴きましたが観衆との一体感は、 素晴らしく音楽を超越した感動を共有した喜びを経験しました。 そんなレイも今はこの世にはいません。遠い星空の彼方です。 上記の映画とCDを是非とも聞いて頂きたいと思います。 久しぶりの感動にありがとうと素直にいえる素晴らしい作品です。 ,, 2005年 3月25日 「ララミー牧場を覚えてますか」 レイ・チャールズの続きになりますが、私がいちばん好きな歌は「ジョージア・オン・マイ・マインド」です。 この歌はポーギー・カーマイケルの作曲で有名でジョージア州の州歌にまでなった素晴らしいものですが、 レイが幼少時代を過ごした愛するジョージアへの思いが心に切なく迫ってきます。 この、ポーギー・カーマイケルが、今から40年ほど前のテレビ人気西部劇「ララミー牧場」に 「爺や」役で出演していたのを覚えておいでしょうか? 番組の後の淀川長治氏の解説で有名になった名調子の「さいなら、さいなら」の、 にぎにぎのポーズと一緒に、懐かしいな、、、、、、 今では信じられないほどの、人気番組でロバート・フラーのジェスとジョン・スミスのスリムが 牧場を舞台に活劇、人情にと本当に面白い番組でした。 確かスポンサーはバヤリース・オレンジだった思います。 カーマイケルはアメリカを代表するスタンダードの「スターダスト」の作曲で有名ですが、 ジャズの名曲「オールド・ロッキンチェア」とか多くの秀作を残しました。 物語の中でピアノの弾き語りで歌う場面があって懐かしい思いです。曲名は分かりませんが、 出来れば再放送してほしいな、、、、きっと、嗚咽するでしょう、、、 番組を記念して出演者らが来日したのですが、ジェスを、一目見ようと大変な事でした。 羽田での歓迎レセプション、そして大阪では御堂筋をオープンカーでパレードまでしたのです。 人が溢れて周辺のビルからは紙吹雪が舞い落ちて数万の人が押し寄せました。 今では、とても考えられる事ではありません。韓国ドラマのヨン様も及びません。 私も応募したハガキでジェスのサイン入りのプロマイドが当選し自慢げに中学校に 持って行き、授業中に回していて行方不明になった悲しい思い出があります。 いまあったら宝物ですね、、、「何でも鑑定団」に出したら凄い値段が付くかも、、、(笑い) ロバート・フラーはその後に映画にも出演したのですが人気は出ずに亡くなってしまいました。 その方がロマンがあっていいですね、、、良い思い出になっています。 同じ人気西部劇西部劇の「ローハイド」のロディ役のクリント・イーストウッドとは対照的ですね、、、、 その主演のフェーバーさんもロケ先の南米で客死しました。細いやさしい目が思い出されます。 テレビ、西部劇が元気な時代でした。元気があって素晴らしい時代でしたね、、、、 ,, "2004年10月 1日 風のように、竹林を、、、 今年は酷暑、その上に台風、地震と大変な夏でした。 ようやく、秋めいて月の美しい夜になりました。 そんな夜には、やはりジャズです。久しぶりに「銀界」を聴きました。 ベーシストのG・ピーコックと尺八奏者の山本邦山の競演です。 今から30年ほど前の録音ですが、一言で「凄い」です。 私が尺八を始めたのも、このレコードがきっかけなのですが、 師である佐谷陽宇山先生の,お言葉が思い出されます。 「風のように、水の流れのように、」 「木の葉の、ささやきを聞きながら、」 自然と語り合うように、歌うように吹きなさいでした。 この演奏は、まさに、風のように、嵐のように、詩的な世界です。 「驟雨」「竜安寺の石庭」ジャズを超越した空間です。 良い音楽を聞くと影響を受けますね、、、感性が甦ったかも、、、 私も、久しぶりに中尾都山の「夕月」を吹いて秋の夜を楽しみました。 余談ですが、G・ピーコックの演奏にはしびれます。 今ではあまり知られていないのすが、「イーストワード」と言う アルバムがあります。ピアノの菊池雅章と、村上寛の競演で 「銀界」と同じ時期の演奏ですが、中でも「ナンシー」が素敵です。 ピーコックは東洋思想と禅の研究で、日本に妻のナンシーと訪れていて、 愛する妻への愛情が伝わって来て、感動的で涙します。 京都で質素な、二人だけの生活をしていたらしいのですが、 教えを受けた日本のベーシストは毎日音階ばかりの繰り返しの、 練習ばかりで、「なんでやねん」と大変だったそうです。 しかし、彼に言わせると、正確な音程とピッチが音楽には大切で、 基本の基本が出来てこそ、良い演奏が出来て、最後には、 その人の、人間性が出るとの言葉で納得させられたそうです。 なんでもそうですね、、、絵でも音楽でも文学でも、 その人の、温かい人間性、人格のでた作品が芸術性を高める、、、 あらためて、そう思う秋の夜長でした。 """,, 2004年 9月16日 船箪笥に時代性を思って、、、 秋来ぬと風の音にも、、酷暑もようやく去って、やれやれです。 先日に、以前から探していた船箪笥の古いものを入手しました。 江戸末期の再生品なのですが、金具の造りが気に入って、 私のコレクションに加わりました。時代性があるものが好きなのです。 仙台箪笥の古いものと、九州水屋とギャラリーの2階に並べています。 なかなか雰囲気があって調和しています。(自分で思ってるだけかも) 正直に言いまして家族からは、総スカンです。 誰が使っていたか分からないものとか、傷んでいる、汚らしいとか、、、 特に女性には理解が出来ないようです。夜になって照明を落として、 それらが使われていた時代に、思いを寄せて楽しんでいます。 男の方がロマンティックなのかな? 置き時計のふるいものも、収集していますが、来店を頂いたお客様から、 譲って欲しいと頼まれて、手放してしまうことが多いのです。 これは売り物ではないと、丁重にお断りをすのですが、 そう言われると余計に欲しくなられるのか、先日も古いの紫檀の彫刻入りの 屏風を持って行かれてしまいました。このような言い方は失礼ですよね、 しかし、自分の好きなものを、理解して頂けるのは嬉しいものです。 絵も、そのようにして言ったほうが売れるかも、、、(笑い) 先日はネットで、お知り合いになった横浜のT様より、 船ダンスの貴重な資料を頂いて感激しました。 古くなった錆びた金具、時代性のあるデザインなどを見ていますと、 時間が止まったようで、自然にその時代へ入って落ち着くのです。 新しいものほど良いものだと、使い捨ての時代が長く続いて、 何代にも亘って使える本当に良いものは少なくなりました。 ヨーロッパでは親から子へ、そして孫へと良いものを大事にします。 いつでも、誰にでも、お金で買えるものは価値がありません。 建築もそうです。前に訪れた名所とか旅館が、懐かしくて訪れると、 前の雰囲気のあるものでなくて、ステンレスとガラス、コンクリ造りで 建築されて、残念な思いをすることが多いのです、 大事なものが、壊されたみたいで悲しいですね、 私たちが通った学校も、昔の温かい木造りではなくて、 ただの、実用的な冷たいものになっています。 このような場所で、子供に芸術とか、感性が育つはずがありません。 本当に大事にしたいものは子孫に残して行くことが大事です。 それらを分かるってことは人間としての最高の喜びなのですから、 芸術性のある、時代性のある良いもを、こころと共に、、、、 2004年 5月14日 バードをレコードで聞きました、、、 五月晴れの、さわやかな日曜日、部屋の整理をしていると、 懐かしいヴァーブのチャーリー・パーカーの「バード・アンド・ディズ」と 数枚のレコードが出てきました。30センチのジャケットです。 久しぶりに会いに来てくれた友人みたいな気がして聞きたくなりました。 もちろんCDでは持っているのですが、あの艶やかな濡れた音質が懐かしくて、 日本橋に走りました。昔は3000枚近くのコレクションがあったのに、 手離してしまい、懺悔と後悔をしながらのプレイヤー探索です。 専門店の親しくアドバイスしてくれていた店員も退職されて、 相談しようにも困ったものでした。大いに迷いました。 最近はレコードを聴きたいお客が多くなって売り場も、 一時期より展示しているプレイヤーは多いのには驚嘆しました。 迷った末に頑張っているメーカーの、D社にしました。 カートリッジも名器のシェアーがあるので感激でした。 興奮しながら、家に帰ってセッティングして視聴です。 アンプは最近のものはフォノ端子がないので、サンスイ909で鳴らしました。 針圧、インサイド・フォース・キャンセラーの設定など懐かしくて、 アームがレコードに降りて来て、いよいよ演奏の始まるホールにいるような思いです。 音が鳴る前のパチの音も、やさしい感じで、冷静に耳を澄ますと、 ややノイズの中からパーカーのアルトサックスが迫ってきます。 おかしな表現ですが、濡れたパーカーの唇に接吻したような、 リアルな音です。広がりもあって、大音量でなくても力強いのです。 そして余裕がある安定、今までのCDの音は何だったんだと、 これまでの20年間程の音楽生活の無駄を思いました。 青春の熱き思いも甦ってきて、燃えてきます。 デジタルてなんやねん、アナログのほうがええやんか、 そしてレコード回転を見ていると、演奏者が見えてきます。 いつまでも、この素晴らしい時間が続いてくれと思うのです。 CDでは決して味わうことの出来ない究極の時間の流れです。 どうやら、当分はレコード探しの日々が続きそうです。 レコードからCDへ、CDからレコードへ、おなじ事の繰り返しで、 人生と同じで、止めようにも止められない、そのものなのですね、、、、 2004年 2月29日 春ですね、、、放浪に憧れて 私ごとですが、津軽三味線と尺八を趣味にして30年ほどになります。 この頃は、忙しさのあまりに、練習する時間がなくて寂しい思いですが、 春一番が吹く、この季節には、これらを持って無性に、 旅に出たくなるものです。どこまでも続く、花野の中で、 さわやかな風と一体になって、 何もかも忘れて、さすらい人になりたいものです。 「さすらい人の子守歌」を、ご存じですか? シュウーベルツが歌った、いまから35年ほど前のフォークソングです。 メンバーのベース奏者(名前は忘れました)が白血病で夭折しました。 それだけに思い出に残っている歌です。 「旅に疲れた若い旅人が、、、」で始まるメロディが切なくて、 70年安保の挫折を体験した、僕らの世代には切なくて、 世の中に理不尽さに、怒りを覚えて、感傷の日々を過ごしていた日々でした。 流れ、、、流れて、、、落ち行く行く先は、、 北はシベリア、南はジャワか、、、と 自由人になって三味線と尺八を持って、門付けをしながら、 桜前線と合わせて北へ、、北へと旅をしたいのです。 放浪芸こそ、本当の芸であると思っている、私には、憧れの旅です。 芸人は芸人の誇りを持って、自分の信念を持って生きる、 「おれは芸人や」と言う芸人は少なくなりましたね、 下品なテレビタレントでさえ、芸術家ぶっている情けない時代です。 最近の津軽三味線のブームでも若手の演奏家が出ていますが、 正直に言って、いいなとは思いますが、感動とは、ほど遠いものです。 なぜなら生活感がないからです。いわゆる哀感がないのです。 高橋竹山の三味線には、悲しくて、虐げられた人間の涙が見えます。 押しつけではない激情もあります。自然で、やさしく語りかけてきます。 本物は少なくなりました。芸術の世界でもそうです。 しかし、インターネットでは、お方から多くのアクセスを頂いて、 芸術の永遠性を思うこの頃です。励まされることばかりです。 良い作品を、ご紹介出来るように頑張りたいと思う、この頃です。 2003年 9月13日 趣味の散歩路も長く休眠で申し訳ありませんでした。 自分の文章がネットで公開されることに、 恐怖感と責任感も強くなり、ペンが進みませんでした。 夏のデパートの展示会も終わって、久しぶりにジャズを楽しみました。 キース・ジャレットのバラードプレイです。 泣かせますね、、、星空のステラ、、、最高です。 生粋のジャズファンには、ソフルフルな演奏を、 好む傾向が強くて、白人っぽ理知的なプレイは敬遠されるみたいです。 モダンジャズがジャズであった時代は遠い日かも知れません。 発売される新譜も、売れる事を第一にした商業主義のものが多くて、 作品と呼べるものは、本当に少ないのが現状です。 もっとアヴァンギャルドであってほしいし、 生きる元気とエネルギーもほしいし、人生の意義までを 考えさせてくれるプレイに巡り会いたいものです。 美術の世界でもそうです。有名作家の代わり映えのしない駄作には、 うんざりしてしています。売れることだけを考えて描いています。 自分の人生観とか価値観を変える作品に巡り会えるのは皆無です。 極論で言えば芸術とは、初めはマイナーの世界からの誕生で、 認められない分野から誕生してきたものです。 それが時代の流れの中で、一部の愛好家からメージャになって、 それも、正統派になってしまうのです。 いつまでも前衛であることの難しさを思います。 今夜はエリック・ドルヒィのファイブスポットのセッションを 大音量で鳴らして行く夏を惜しみたいと思ってます。 このセッションのマル・ウオロドンとブッカー・リトルは 本当に最高です。演奏メンバーは亡くなっても不滅で、 今でも、私を燃えさせてくれます。 しかし、良い意味でも悪い意味でも話題になって、 大論議になるような芸術作品は少なくなりました。 久しぶりにJBL101で聞いて青春をします。 2003年 6月20日 男の美学を思うこの頃です。 グレゴリー・ペックが亡くなりました。時代の華が咲かせたスターの一人です。 少年時代には、彼の映画を見ては、ヒローのように強い男になりたいと思ったものです。 「頭上の敵機」「アラバマ物語」ヘップバーンとの「ローマの休日」など、 忘れがたい名作です。あまり有名ではありませんが「邦題 渚にて」と言う映画がります。 今では絶対に存在しない3本立て120円の堺の映画館で見ました。 競演はエバ・ガードナーです。本当に良い時代で懐かしい思い出です。 好きな映画が一日中見られるのです。2館に行っても300円でした。 話の内容は原子力潜水艦に乗ってる間に世界で核戦争が起こり、 人類が滅亡して、海に潜っていた潜水艦の乗員だけが助かり、 アメリカにも帰るのですが、全くの廃墟で、人間の愚かさを痛感して、 生きる望みを失ってる時に、無線をキャッチして、 発信地のオーストラリアに行くという映画です。 主題曲の「ワルティング・マティルダ」が効果的に使われて印象に残っています。 その時の艦長がグレゴリー・ペックで、抑揚を抑えた演技は本当に素敵でした。 「白鯨」の彼も良かったけど、是非とも見られることをお薦めいたします。 私達が憧れたスターの、ほとんどは亡くなってしまいました。 自分の生活のスタイルまで真似をして、何とか近づきたいと思ったものです。 「真昼の決闘」のゲーリー・クーパー、「カサブランカ」のハンフリーボガード、 渋いギャング役が似合った、ジャン・ギャバン、 アメリカ人の代表的なジェームムス・スチュアートがリンドバークを演じた、 「翼よパリの灯」、ジャズの巨匠を演じた「ベニ・グッドマン物語」など、 夢を実現するためには、夢を見続けることの、大切さを教えてくれた、 そのような感動する映画も今では少なくなりました。 今は、男の美学が失われている時代です。女性に媚びを売る男は多いですが、 自分の弱みを見せない。惚れた女には、自分からは絶対に好きとは言わない。 時代遅れと言われながらも、美学を感じさせる男、 男として憧れる男、本当に少なくなりました。 グレゴリー・ペック、、、、いい男でしたね、、、、 2003年 4月14日 たそがれ清兵衛を見ました。 3月から4月は東京出張が続きまして超多忙の毎日で、 その間に時間が出来て、話題の「たそが清兵衛」の映画を見ました。 某、週刊誌で不倫の小説で有名な人気作家が、この作品を、 「とりとめのない作品」と酷評しているので、 私なりの評文を書いて見たくなったので、このページに掲載する事を、お許し下さい。 現代劇で「寅さんシリーズ」とか「幸せの黄色いハンケチ」「学校」の 山田洋次監督の、初めての時代劇と言うので、期待感を持って見ましたが、 はっきり言って「良い映画でした」感激して嗚咽しました。 最近の日本映画の中では秀逸な作品だと私は思います。 生き急いでいる競争社会の毎日で、家族を大事にする自然さを、 思い知らされました。 現代の不況の中でリストラされそうなサラリーマンの共感を呼ぶ映画とか、 言われていますが、作家の藤沢周平は、そんな意図で書いた小説でもないし、 山田監督も、そんな事を言いたかったのではないと思います。 もっと日本人の奥底に何かを意識せざるを得ない、 「忘れていた心を甦らせる作品」と、思います。 清貧と言う言葉がありますが、豊かさばかりを求めて、 人は生きているのではない、優しさと感謝の気持ちで素直に生きる、 その事の大事さを考えさせられる映画でした。 飄々として、それでいて信念を持って、家族を大事にする下級武士の 真田広之も自然体での演技で泣かしてくれましたし、宮沢りえの控えめな優しさも、 こんな女性に巡り会いたいとの願望を痛感させられるものでした。 小泉総理が見に行って泣いたとか、話題になった映画でしたが、 素晴らしい芸術作品の絵のように自信を持ってお薦めできる映画です。 「ありがとう」と素直に言える映画に巡り会えて、 私もこのように、感銘を与えて残る仕事をしたいと思うこの頃です。 2003年 3月13日 今月は出張が多くて、散歩路の原稿が、遅れてしまいました。 久しぶりなので、良い文章を書こうと、自分で詩を朗読したり、 啄木の歌を、口ずさんではいるのですが、 やや疲れ気味で、どうしようもありません。済みません、、、、 名前がいいですね、スコット・ラファエロ もちろん純粋な白人です。 残っている彼の顔写真を見ると、ルネッサンスの彫刻作品のようです。 本当にインテリの表情です。なるほどと納得させられます。 眼差しが、ひたむきで魅了されます。 彼のオリジナルの「グローリアのステップ」はビル・エバンスの ヴィレッジ・バンガードのセッションで有名ですが、 グローリアとは彼の奥さんの名前だそうです。 ダンサーだったそうで、その踊りを見ていて自然と出きた曲だそうです。 メロディーと愛する奥さんへの思いが、ジャズのスタンダードに、 名曲になったなんてロマンがあって素敵ですね。 彼の突然の死から42年です。奥さんは、どうしてるのか気になります。 自分への曲がジャズのオリジナルになってるのを知っているのかな? 余りにも凄い即興演奏をするので、当時の黒人ベーシストの間では、 実際のプレイは音が小さくて聞こえないとか、嫉妬心があったそうです。 いつの時代にも、時代の先駆者は認めようとしないものです。 しかし、オーネット・コールマンの「フリージャズ」は、 是非とも、お聞きになることを、お薦め致します。 新しいものを創造しようとするエネルギーには、圧倒されて 感激すること間違いなしです。まさにポロックの世界です。 美術の世界でもそうです。現代美術なんてゴミだと叫んでいた美術商が、 自分こそが、いちばんの理解者だと風潮しています。 そして、今年に生誕100年を迎える。棟方志功もそうです。 ヴェンナーレで受賞を続けて、世界のムナカタと認められて、 多くの美術商が扱うようになったのが現実です。 誰も認めていない作品を見つけて、理解をして世に出すには、 努力が必要です。そして、なによりも感性が大事です。 2003年 3月 2日 モダンアートとモダンジャズと 仁井谷 満 私たちの世代で憧れであったアメリカ、、、 堂々として、明るくて努力と実力で夢が現実になるアメリカン・ドリーム、 今から考えれば最も輝いていたのは50から60年代であったと思います。 現代アートでは、クライン、ジャスパー、リキテンシュタイン、ポロックと モダンアート芸術の花を咲かせました。 音楽でも、モダンジャズに元気があって、マイルス、ロリンズ、 コルトレーン、コールマンと、今までの概念を破るモード奏法 ニュージャズが注目をあびていた時代です。 現在も経済と富の世界では、アメリカの一人勝ちの模様です。 それは、間違っているかも知れませんが現実です。 やはり富の集まるところに、文化は発生して集まると言いますが、 現実なので、どうしようもありません。 私は春を呼ぶ雨の中をレコード店に、と言っても今はCDですが、 久しぶりにコールマンを聞きたくて、かの名盤の「フリージャズ」を、 買いに出かけました。このごろ、やや疲れ気味で、燃える思いを、 甦れとの思いもあったのだと思います。 正直に言って、この音楽を大音量で通して聴くのは苦痛だと思います。 売り場には有ったのですが、どうも、おかしいのです。 良く見るとあのポロックの抽象作品写真が有りません。 ジャケットの右下のその部分が削除されているのです。 何か版権の問題でもあったのだと思いますが、 それはないでしょうと、絶句しました。 私は、このジャズよりも、そのポロックの絵のほうが面白くて、 清貧の頃、、、(なつかしい言葉です。今は死語になってます) 入手したのを昨日のように覚えています。 その時は、自分が将来は画商になるとは夢にも思っていませんでした。 ジャズのレコードは3000枚以上は、コレクションはしてたのですが、 娘が3人も出来まして、、、(ありがたい事で感謝しています。本当です。) 住宅の事情でレコードを手放してしまいました。 CDの出現でレコードの音が古くさくなって、もの足らなかったのです。 その事は私の人生で最大の失敗だったと気づいたのは、 2年ほど後でした。デジタルの音の味気なさ、空気の濡れた感じがない、 乾燥した音に物足りなさを感じて、オーディオの趣味からも、 遠ざかっていたのです。 オーネット・コールマンの「フリージャズ」には、私の大好きな スコット・ラファエロのベースが入っているのです。 そうですビル・エバンスのトリオのベーシストです。 前衛であって、今までのようにリズムだけだなく、メロディーを即興で弾き、 伴奏の域をこえて、ピアノと対等に演奏した最初のベーシストです。 彼は21才の若さで自動車事故で夭折しました。 続く |